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若き急進的政治家の試練
シンガポール・ストレートタイムス
(2004年10月3日)

 

 9月にアジア・ニュースネットワーク(ANN)の招待で
ヤングリーダーズフォーラム:2015年のアジアをみつめて」に参加しました。

 ANNはアジアの国々で英字新聞を発行している新聞社のネットワークで、日本ではデイリーヨミウリがメンバーです。今回の会議では、各国のメンバーの新聞社が40才以下で活動している各界の人たちをピックアップしたそうです。
 その際にシンガポール最大の新聞である「ストレートタイムズ」より取材を受けました。約90分にわたる長いインタビューで、安全保障の話が半分以上だったと思うのですが、落選中の話のほうが面白かったようでそちらが中心になった記事になりました(笑)。

以下ストレートタイムス紙記事の和訳文章です

 若き急進的政治家の試練
〜日本の野党の国会議員・宇佐美登氏が語る、自らの人生と政界を離れた7年間の苦難〜

 

落選議員時代の苦労
〜息子の自転車も買えなかった


日本では、落選議員の人生は厳しいといったものではない。べらぼうに厳しいのである。政界を離れて過ごした7年間のことを思い出すたびに、宇佐美登氏の目は、涙で曇る。

一度は最年少の国会議員として選出されたが、2回連続で総選挙に敗れ、その間家庭教師として生計を立てねばならなかった。 彼は、日本の一流大学である早稲田大学で工学の学位を取得していたが、実質的に雇用に適さないと見なされた。落選の烙印が、彼とその家族をつきまとった。誰も彼を雇おうとしなかった。

「その頃のことは、涙なしには語れません」と、涙で目を曇らせながら、彼は言う。 「まったくひどい日々でした。収入はほとんどありません。誰も、前国会議員など雇いたくなかったのです。」

これほどまでに悲惨な財政状況のため、彼は、当時幼稚園に通っていた息子に自転車を買ってあげることすらできなかった。彼はこう語る。「私の息子以外、みんな自転車をもっていました。家内にも、せめて自転車ぐらい買ってあげてほしいと懇願されました。でも本当に買うお金がなかったのです。」

いかにも弾力性があり若い理想主義の宇佐美氏らしく、彼は逆境の中にも希望の兆しを見出した。「息子は幼稚園で、かけっこが一番早くなりました。自分の自転車がなかったので、その分、歩くことで足を鍛えるしかなかったのですね。」


最年少で当選、二度の落選を経て再選

現在37歳の宇佐美氏は、1993年、26歳の時、新党さきがけの公認候補として衆議院議員に当選した。さきがけとは、後に日本の最大野党・民主党に合流した政党である。

しかし、議員を一期勤めた後、1996年の総選挙で彼は有権者からクビにされる。著名な社会評論家である大学教授に敗れたのである。 2000年、彼は再挑戦を試みたものの、またしても苦杯を喫した。このことについて、宇佐美氏は、「この時、私はテレビで有名な芸能人に負けました。私の政治上のライバルもそうですが、私はいつも有名人を相手にしているのです」と、冗談交じりに語る。

、若さは彼に味方した。彼は政界に復帰する。2000年に民主党に入党し、2003年11月の総選挙において、東京4区より出馬、衆議院議員として当選したのである。

民主党は、2003年の総選挙で躍進を遂げ、小泉首相の自由民主党に現実的に脅威を与える存在となった。

宇佐美氏の運勢は、良い方向へと転換したようである。彼の政治的将来は、明るいように見える。人として魅力にあふれ、英語に堪能な政治家である氏は、現在、国会で内閣委員会理事および政治倫理公職選挙法特別委員会委員を務めている。 後者は、宇佐美氏にとって特に重要な意味をもつ。事実、彼の職業政治家としての存在意義でもある。 「もし法律が弱者を護ることができなかったとしたら、私は国会議員としてその法律を変えることができる、というのがその理由です」と、彼は語る。


環境問題への情熱
〜核実験に抗議してフランス軍に拘束される


彼のもう一つの情熱は、環境問題にも注がれている。しかし、単なる口先のスローガンや、地球環境保護運動に対するリップサービスだけで満足しているわけではない。彼は、語るのではなく、行動したいのである。たとえ、それが環境についての「ゲリラ的活動」であったとしても、である。

1995年9月、彼はフランスによる核不拡散条約の違反に抗議するため、スウェーデン、ルクセンブルグ、イタリア、オーストラリアなどの7名の国会議員とともに、フランス領ポリネシアに位置するムルロア環礁の核実験地域周辺に設定された退去地域へ、ボートで乗り込んでいった。

彼らは、フランス軍関係者に拘束され、後に開放された。この拘束が明るみに出ることで、フランス政府は苦慮することとなった。フランスは、当初8回実験を行う予定であったが、この抗議行動のために実験は5回に留まった。

一夜にして、宇佐美氏は有名人となり、日本の報道機関に常に追われることとなった。彼は後に、この時の体験を本に著すが、そのタイトルがなかなかよい。曰く、「2045発目の核:仏核実験再開に抗議したある日本人の記録」というものである。

先日、シンガポールで行われたアジア新聞ネットワーク(ANN)−コンラッド・アデナウアー基金の主催によるヤング・リーダーズ・フォーラムに出席した宇佐美氏は、このほどサンデー・タ イムスの取材に対して、日本はアジアにおいて中国に対する政治経済上のリーダーシップを失ってしまったのかといった話を含め、様々な問題を率直に語ってくれた。

彼は、簡潔で、鋭く、歯切れの良い応答を好む。ここにいるのは、明らかに急進的な改革者である。

 

記者 何があなたを政治の道に歩ませたのでしょうか?
宇佐美

高校生の頃は、弁護士になりたいと思っていました。ですから、憲法や刑法など、さまざまな法律を読みあさったものです。また、冷酷な殺人事件など、訴訟事件についても研究し たりしていました。その研究の結果わかったことは、法律は弱者を保護してくれないということでした。そこで、私の方が考えを変えました。20歳になったとき、立法者、すなわち政治家になることを志したのです。政治家として、私は弱者を守れるよう、法律を変える努力をしていきます。

 

記者 あなたは、国会議員として再選されず、1996年から2003年までの7年間、政界を離れていました。なぜ、国会議員でなくなった後、誰もあなたを雇わなかった のでしょうか。
宇佐美

もし私が政治家としての影響力を行使しようと思ったら、私はパワー・ブローカーやロビイストになることはできたでしょう。おそらくそうすることで何がしか稼ぐことはできた かもしれません。でも、そのようなことはしたくなかったのです。

 

記者 シンガポールで以前働いた経験があるそうですが。何をしていたのですか。
宇佐美

1989年、松下政経塾のインターンシッププログラムの一環として、私はシンガポールに滞在しました。松下政経塾は、米国のハーバード大学ケネディスクールの日本版だとご理解 ください。

当時、ラッフルズホテルは、まだ改修工事中でした。私は、ヤオハン・ベストの顧客サービス部に勤務しました。私は、シンガポールの人々がどのように暮らしているかを見てみたかったので、サービス・チームの一員としてくれるよう、お願いしたのです。

私のチームは、ヤオハン・ベストが販売したテレビセットを修理するのが仕事でした。私は、チームに随行して、修理されたテレビを配達する仕事に従事しました。私はシンガポールの暮らしは東京よりも良いように感じました。東京では、多くの人々が自分の家を持っていませんので。

 

記者 あなたは、日本の若い世代を代表しています。あなたの世代の志向は、その前の世代の方々とどのように異なっているでしょうか。
宇佐美

我々は、ハイスピードなアクションを求める世代です。規制緩和などは、もっと速く進めるべきだと考えます。また、市場は開放されるべきです。私は、携帯電話の規制緩和を推進しました。1993年以前、携帯電話市場はNTTによって独占されていました。この巨大企業1社しかなかったのです。規制緩和をした結果、その他の企業が参入できるようになりました。

 

記者 日本は国際社会において、より大きな役割を果たすべきでしょうが、日本は、あまりにも孤立していませんか?
宇佐美

そのとおりです。日本は、特にアジアにおいて、より大きな役割を担うべきです。小泉首相は、あまりにもアメリカを向きすぎています。将来的に、日本は中国やアジア諸国ともっと密接に結びつくべきです。

 

記者 日本の安定にとって一番の脅威は何でしょうか。
宇佐美

原油価格の上昇と中国の経済成長です。エネルギー安全保障は、非常に重要な問題です。他の日本の政治家は、食料の安全保障も課題だと考えています。

 

記者 北朝鮮が、この話に出てこないのが、驚きですが。
宇佐美

北朝鮮は、私が考えるに、それほど大きな脅威ではありません。北朝鮮は、国際的な政治のステージに上りたがっているだけです。しかし、彼らは食料とエネルギーを必要として います。日本の人々が望めば、支援することは可能です。

 

記者 中国は安全保障上の脅威ですか。
宇佐美

安全保障という意味では、北朝鮮が一番の脅威です。中国ではありません。

 

記者

日本は、中国によって、政治経済の領域で取って代わられつつあります。日本にとって、その意味するところは何でしょう。

宇佐美

私を含めて、国会議員のほとんどは、中国への政府開発援助(ODA)を止めたいと考えています。なぜなら、中国政府自身が、他の小さな国々に対してODAを供与しているからです。もしかしたら日本 のODAがそこに使われているかもしれません。これは日本人にとってはおかしなことです。多くの日本人から、不満の声が寄せられています。

 

記者 日本は、かつて途上国のモデルでした。いまやそうではなくなっています。一体何が起きたのでしょう。
宇佐美

昨年、全米でトップ企業であるGEの多くのトップ経営者が、日本のモデルを学びに来日しました。彼らは、パナソニックと東芝を訪問しました。多くの人々がトヨタやキャノンの視察のために来日しています。

日本は、デジタルカメラなどの領域では、依然としてナンバー1です。ここでの世界一の企業はサンヨーです。日本企業は、世界のデジタルカメラ市場の70パーセントのシェアを保っています。また、日本はプラズマディスプレーの分野でもリーダーです。サムソンは大きなライバルですが、まだ日本がリーダーの地位を保っています。

 

記者 日本が世界的なコミュニティに溶け込んでいくにあたって、日本人の英語力のなさが大きな障害になっていると言われています。だとすると、日本のIT産業の発展までも抑制されてしまいますが。
宇佐美

それは、IT時代以前には、より大きな問題でした。今では、英語を習得できないということは、全く問題ではありません。

たとえば、翻訳ウェブサイトがあります。もし電子メールが英語で送信されてきても、私はそれを日本語で読めます。CNNのように、国際的なニュースのプラットフォームには日本版もあります。

小学校でも、子どもたちは英語を勉強するようになっています。中学、高校では、日本の生徒は第二言語として英語を学習しなければなりません。いまや日本の子どもたちは、大人に比べて、はるかに急速に英語を学習しています。

 



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